横須賀の久里浜港から出航している東京湾フェリーで千葉に渡り、
今回は千葉県の館山市に行ってきました。
船形山の崖に建てられた観音堂「崖観音」を見に行きました。
現在建つ天守は、後に丸岡城を模して1982年(昭和57年)に再建された模擬天守で、
当時の天守の概要や外観については不明だそうです。
この天守は現在、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)として利用され、
周辺は城山公園となっています。
◆開館時間:9時~17時
◆定休日:月曜と年末年始
◆観覧料:一般・高校生400円、小・中学生200円
《館山城跡 解説》
館山城は天正18年(1590)夏、里見氏九代の当主・義康(よしやす)が築いた名城である。
この地は鏡ヶ浦に臨む標高73.9mの独立した小丘であって要害の地であるので、
既に保元(1156-59)の昔、沼ノ平太こと平ノ判官貞政が居館した所と伝えられている。
里見代々記によると、この頃里見氏の居城であった岡本城(富浦町岡本)は
位置に恵まれず、八代義頼の時から館山築城を計画していた。
義康は父の遺志を継いで、天正16年(1588)築城に掛かり、
二年半を費して竣工、館山城と命名した。
房総里見誌に「石塁峨々として築き上げ 堀は深満に等しく 矢倉高くして蒼天を仰ぎ、
〇〇〇郭を真倉といい、 大手を根来下搦手を藤井という。並びに上・中・下と町割して
四民ども日々群集して繁昌す」とあるように、城郭・堀・楼閣・武家屋敷・城下町など
計画造成され、城そのものは地積約43万m²(約13万坪)の壮麗堅固な平山城であった。
かくして館山城は武門の誉れ高い房総里見氏の居城として、
鏡ヶ浦湾頭にその威容を誇ること27年、10代・忠義の時、
外祖父小田原城主大久保忠隣の罪科に関係ありとして安房国を没収、
伯奢国倉吉に国替(9月9日)されると共に、惜しいかな城は破却され、
10代170年の栄華の夢も空しく、今はただ残塁破壁を残すのみとなった。
時に慶長19年(1614)9月20日のことである。
昭和46年(1971)9月9日 千葉県文化財専門委員 君塚文雄 誌
自転車とオートバイ置き場は歩道にあります。
車の駐車スペースは、
第1駐車場、第2駐車場、山頂下駐車場(高齢者、身体の不自由な方及び妊婦、
乳幼児連れ(ベビーカー含む)等のお客様の優先駐車場)があります。
◆詳しくはこちら
https://www.tsukahara-li.co.jp/tateyama/sisetsup.html
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